1.ほんとうに分かるとは、言葉にできること

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「うまく言葉で言えない」という気持ちを、私たちはしばしば味わうことがあります。 そのとき私たちは焦れったさやいらだちを覚えますが、そういう焦れったさ、いらだちは、単に言葉が出ないからではありません。言葉が出ないことによって言 い表そうとしている対象がつかめない、つまりその対象が実は“よく分からない”からにほかなりません。

青も緑も青系の似たような色では あ りますが、「青」と「緑」という言葉を持ち表すことで、私たちは「青」と「緑」を分ける、つまりそれが“分かる”ということになります。そう、“分 ける”ことが“分か る”ことなのです。幼児は「犬」と「猫」という言葉を獲得することで、「犬」と「猫」を分け、その正体を認識していきます。 その子 にとって以後犬は犬であり、猫は猫はであり、似ているものでもまったく違うものとなり、つまりその子は犬と猫とが“分かった”のです。

名 前もまたものを理解する最初の一歩です。野に咲く名もない花も、私たちはその名を知ることから“分かる”をスタートさせます。初対面の人と人とがまず名乗 りあうのも相手について分かりたいからです。

言葉は認識そのものです。まさに言葉は、未知のものを既知に変える魔法にほかなりま せん。


以上のことは、受験をめざす皆さんのあらゆる学習についていえます。自分 の口から自分の言葉で説 明できることだけがほんとうに“分かった”ことなのです。逆にいえば、自分の言葉として表現できないうちは分かった気に なっている だけです。

あなたは“分かった気”になっていませんか?

学校や塾・予備校で、先生の言うことを聞きそれを ノートにとる。 なるほどと思う。それが“分かった気”になっている段階です。

この段階と、自分の言葉で表現し説明できることと はたいへん 大きな隔たりがあります。単にノートに書いてあることを繰り返せばいいのではありません。コンパクトに、秩序だてて、第三者が納得するように、自分 の言葉で表現し説明で きるか?


そうして今、この自分の言葉で表現し説明でき る力が、受験のみならず、人が社会人として仕事をし人生を生き抜くあるゆる場で求められているのです。

2.日本の教育で最も遅れた分野


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